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【モバマス】P「あめうしのおもい」

177.oQo7m9oqt:2017/10/29(日)20:00:01 ID:imV()
独自設定あり。
よろしくお願いします。
277.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:02:03 ID:imV()



 朝ぼらけの中にニワトリが鳴く古き良きステレオタイプっぷりである。

 きれいに刈られた牧草地のはるか先、遠い山を焼く真っ赤な朝日に目を細めながら、僕は集めた干し草の束に農用フォークを突き刺した。労働で熱を持った身体から出る吐息は寒気に触れて白いモヤになる。

 朝焼けなんてものを見たのはいったいいつぶりだ。今は朝の五時半────こんな時間に起きていることがそもそもないし、発展し尽くした僕のふるさとでは背の高い人工物が天を衝くせいで太陽はある程度昇ってくれないと見えやしない。

「いいところだな」と僕は言った。

 真上の空は澄んだ藍色に星が散らばり、視線を落とすにつれて青が水色に変わって橙へ、そして燃えるような赤が稜線から湧き立つ。

 問答無用の美しさに圧されて、飾り気のない感嘆が口から漏れた。

「ふふっ」という穏やかな笑い声が聞こえた。

「そうでしょう?」

 言って、隣に立つ及川雫は僕と同じようにフォークを干し草に刺して同じ方角に目をやった。出会ったときよりも少しだけ伸ばして肩にかかる髪を、うなじで一つにまとめている。黒い仔馬のしっぽのようなそれが冷えた風に揺られてわずかに浮く。

 じんわりと照らされる横顔を横目にうかがった。ちょっと赤くなった鼻を小さくすすって、彼女は優しく微笑んでいる。

 ────ああまったく。僕は出そうになったため息をすんでのところで飲み込んだ。

 出会ってから今まで、何度だって思った。良い子だなあと、繰り返すように。

 そう思わないようになったのは、いったいいつからだったろう。もう随分遠い昔のことのように感じる。その雄大な風景も手伝って、ノスタルジックな気分を味わえそうだった。
377.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:02:47 ID:imV()



 ────が、あくまで味わえそうなだけで、味わえるわけではない。普段デスクワークばかりのろくすっぽ動かしていない体で肉体労働をこなせばそんな余裕があるはずもなかった。

「……死にそう」

「死にませんよぉー」

 がらんとした牛舎の壁にもたれて座り込んだ。隣に立つ及川はころころと笑っている。もともと酪農で鍛えられていた体を五年近いアイドル活動でがっつり磨き上げ、彼女のフィジカルは筋金入りである。

 右腕に巻いたデジタル時計の表示は06:25。まだ一時間と少々しか働いていないのにこうまで疲れるとは、担当アイドルからの頼みとはいえ安請け合いしたのをちょっと後悔する。

「朝の五時に起きて即、仕事ってなあ。ほんと頭下がるよ……」

「慣れてしまえばそんなに大したことじゃないんですけど、やっぱりそうじゃないとキツイですかねー?」

「早起きもキツイし体もキツイって。……あとなんだった?」

「給餌と清掃は終わったので、パーラーから帰ってきた子たちのお手入れをして午前はおしまいです」
477.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:03:18 ID:imV()

 おいかわ牧場の牛舎はフリーストール式であり、ロータリー型ミルキングパーラーによって搾乳している────なんて言われてもさっぱりわからないが、要は飼い方が繋ぎっぱなしでなく、かつ搾乳は専用施設で行われているらしい。

 今は牛たちはみなそのパーラーなる施設に出払っており、お仕事を済ませれば自分たちで帰ってくるのだという。賢いんだな、と言うと及川は自分が褒められたときのようにはにかんだ。

 初対面時から知っていたが、その顔を見てあらためて思った。及川は牛が好きなのである。ひいてはこのおいかわ牧場が好きなのだろう。もともとここの広告塔になるためにとアイドルになった彼女のシンは、ずっとブレない。
577.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:03:48 ID:imV()



 よかったら、うちに来てもらえませんか? 言われたのは三日前のことだ。

 僕はたまたまスケジュールの都合で土日がまるっと休みになり、迫る仕事もないので溜まった有給休暇をさくっと使って大きめの連休を作った。僕のスケジュールの都合は及川依存なので、つまり彼女も休みだった。

 帰省するのでついて来て。首をひねったが事情を聞いてみてあいわかったと了承した。なんでもご母堂がケガをして人手が足りなくなるのだと。猫の手も借りたいような状況に猫よりは多少マシな僕にお声がかかったわけである。

 ありがとうございます、と及川は言って苦笑いをした。迷惑をかけてごめんなさい、休みを潰してすみません、お時間いただいてありがとうございます────いろんな意味を含んでるんだろう苦笑だった。

 彼女がうちの事務所に所属してからもう長い付き合いだった。それぐらいは察せる。あうんの呼吸は言い過ぎだしツーカーの仲と言えるかも怪しいけれど、それに準じられるくらいには僕と彼女は近しく親しかった。
677.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:04:45 ID:imV()



 まだ秋とはいえ東北の朝はやはり寒く、すん、と鼻をすすった。嗅覚にガツンときた濃い動物のにおいには慣れていなくて、ちょっと顔をしかめてしまう。

「やっぱり苦手ですか?」

「ん。……まあ、得意ではないなあ」

 返答を聞いて及川は小さく吹き出した。彼女が問い、僕が応える。このやり取りは今までにも何度かしていた。

「なかなか慣れてくれませんねー?」

「そりゃあだって、年に一回ぐらいしか来てないんだぞ」

 初めては娘さんを事務所にお迎えしたいとご両親に挨拶に伺ったときだった。

 おたくの敷地、かぐわしいですね。においを嗅いで顔をしかめたというのはつまりそう言ってしまったようなもので、僕はお怒りを覚悟して首をすくめた。が、及川もご両親も、別に怒ることはせずに寛容に笑ってくれた。

 あれから、もうずいぶん経つ。
777.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:05:25 ID:imV()

「……いろいろあったなぁ」

 ぽつんとこぼすと、及川も頷いた。ちょっと間延びした声で「ありましたねー」と言う。

「まさか、私がアイドルになんて。思ってもいませんでした」

 背中を壁に預け、及川は僕を見下ろした。ぶつかった視線がややくすぐったいが、逸らすのもどうかと思うので彼女の目を見つめた。琥珀のような茶色い瞳は、やっぱり綺麗だ。

「天職だったんじゃないかな。と、僕は思うんだけど」

「ふふ、どうですかねー」

 お世辞のつもりもなく言ってみたが、及川にはさらっと流された。言葉を重ねるのもわざとらしいか。僕は目をすがめて視線を逸らした。

 逸らした先には牛舎の入り口がある。折から、そこにゆっくりと歩いてくるホルスタインの頭がひとつ見えた。

「あ。帰ってきましたね」

 本当に自分で帰ってくるらしい。少し感嘆してから立ち上がった。
877.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:05:49 ID:imV()

「ハナちゃん、かな。あの子は」

「あれ。……わかるんですかー?」

「牛も先頭切るのはリーダーなんだって、昔に教えてくれただろ。ゴメン、見分けはついてないよ」

「ああ。そうでしたね」

 牛の群れにも、ライオンやサルなんかほど明確ではなくともリーダー格がいる。群れが動きを起こす際にキッカケとなるのがその子なのだということを僕は及川から聞いた。パーラーに行くときの先頭がリーダーなのだから、帰ってくる最初も当然に決まる。

「覚えていてくれたんですね」と及川は言った。

「まあそれぐらいは」と僕は返した。

 知ったのが、確か二年ぐらい前。あの頃からハナちゃんがその立場にあることは変わっていないらしい。

「何をすればいいかな」

 壁に掛かっていたブラシや金ぐしを手に取る及川にそうたずねた。いちいち指示を仰がないといけないのが自分でわずらわしいが、ど素人の僕はやむを得ない。

 彼女はほんのわずか言いよどんで、それからあらためて口を開いた。

「見ててもらえませんか」

「え。……見てるだけでいいのか?」

「はい。手入れをしてあげるのは、慣れていないとちょーっと危ないですから。……お疲れだったら、もう家の方に戻ってもらってても構いませんけどー」
977.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:06:36 ID:imV()

 お疲れはお疲れである。ただ、ここで「はいじゃあ戻ってますのであとは頑張ってね」などとのうのう吐けるほど僕は肝が太くないし、今から仕事を頑張ろうとしている及川の頼みをやすやす蹴ってしまうほど血が赤くないつもりもない。

「わかった。見てるよ」

「ありがとうございます」

 お礼を言われるようなことではないが、今ここでその単語を選んだ及川の心情はなんとなくわかった。付き合いの長さと親しみの深さは比例するわけではない。しかし、それでもやはり繋がりの時間は偉大だとしみじみ思った。

 及川は僕を置いてハナちゃんの方へ駆けて行った。それは何度となく見てきた光景に似ている。舞台へと送り出すとき、僕はいつも彼女の背中を見送ってきた。アイドルとして飛び出す彼女を、僕はいつだってちょっと誇らしげな顔で見ていたのだ。

 なんとなくの感傷が胸に湧いて出て、僕はほうと息を漏らした。出した息はやっぱり白色に染まって、やがて牛舎の空気に溶けていく。
1077.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:07:52 ID:imV()

 さて、何度だって言うが秋とはいえ東北の朝は寒い。貸してもらったツナギの上からおいかわ牧場のロゴ入りジャンパーを着ているが、それでも体は縮めたいぐらいに。

 しかし及川は汗だくだった。顔いっぱいに汗を浮かせて牛たちと格闘している。よく慣れ親しんでいるはずなのに、それでも彼女らは及川の言うことを素直にそのまま聞きはしない。

 なるほどこれは僕が手伝うのは難しいだろうなとざっくり思った。少なく見積もっても三ヶ所ぐらいはケガをしそうである。具体的に言えば踏まれて足の甲、回し蹴りで脇腹、頭突きで肋骨あたりが持っていかれそうだ。

 及川の体さばきは見事なものだった。しかし、

 時間が経つにつれ牛舎の中は賑わっていく。入り口から入ってくる牛たちは広い空間を徐々に埋めていった。

 どう考えても手が足りていないんじゃないか、と思えるようだった。及川一人ではこの頭数すべての相手をするのは明らかに厳しそうだ。これを普段はご母堂がまるまるやっていたのだろうか。
1177.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:08:22 ID:imV()

「及川」と僕は彼女を呼んだ。

 しかし二の句を紡ぐ前に、彼女はかぶりを振って「大丈夫ですよ」と笑ってしまった。別に軽いケガぐらいなら。手伝おうか。言おうとした言葉は飲み込まざるを得なくなる。

 金ぐしで固形化した汗や汚れを落とし、ブラッシングで毛の流れを整える。大きな体躯のケアは一頭だけでもきっと重労働に違いない。それを次から次へとやっていかなければならないのだから、それは大変に決まっている。

 だけど、及川は笑っていた。「よしよし、いい子だからちょっとだけじっとしててねー」とか、「ここが気持ちいいかなあ。あ、やっぱり。ふふ、よかったです」だとか。楽しそうに汗をかいている。

 及川はいつも笑っていたな。そんなことを不意に思った。レッスンのときも、営業のときも、仕事のときも。それは彼女の魅力の一つだった。

 はて、今の笑顔とどちらが、なんてことが頭をよぎった。僕はつとめて考えないようにして、ぼんやりとまきばのワンシーンを眺めていた。
1277.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:08:42 ID:imV()

 この空間に馴染まない異物である僕が気になったのかもしれない。及川による手入れを済ませてもらったハナちゃんが、柵のギリギリに寄って首をこちらへもたげてきた。

 近づいてみると、黒色の柄にまぎれていた真っ黒な瞳は僕の目を見つめていることがわかった。

「……よかったな、きれいに手入れしてもらって」

 脅かさないように顔の横からゆっくりと、柔らかく頭に手を置いた。払われるかなと思ったがそんなことはなかった。ぶるる、と鼻を鳴らす彼女の頭はつやつやの美しい毛並みをしている。

 角は丁寧に折られ、ひづめもしっかり人為的に削られている。それはきっと家畜としての乳牛の理想の姿で、この姿を保つのにどれほどの苦労を費やしているのかを僕は正確に計り知ることはできない。

 毛の流れに沿って軽く撫でてみると、ハナちゃんは目を閉じてちょっと頭を垂れた。タックルでもされれば一撃でノック・アウトされそうだが、だからこそ大人しく撫でられてくれるその姿は可愛らしく映る。

 ういやつめ。口に出してみると、意図してか否か頭を振って手を弾かれた。────なるほど、ちょろいやつだとは思ってくれるなと言われたような。僕は肩をすくめて離れていくハナちゃんを見送った。
1377.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:09:25 ID:imV()

 作業は結局昼前までかかった。

「すみません、長い時間お待たせしました」

 眉を八の字にして言う及川に首を振った。

 及川は昔と比べると隙が減った。熱冷ましにぱたぱたと手を扇いでいるが、ツナギの首元はしっかりとボタンを閉めているから何とは言わないが何も見えない。顔を背ける必要は今やなく、ひょんなことからも時間の流れを感じる。

「いや、おつかれさま。何か手伝えたらよかったんだけどな」

「いえいえ。朝のぶんだけでも、とってもありがたかったですよー。おケガをさせるわけにもいきませんし」

 膝元や胴についた寝ワラを軽く払って及川は言った。

「お昼にしましょうか。もう準備はできていると思うので」

「ああ。じゃあ戻ろう。ご両親も待ってるかな」

「……うーん。えっと、そうですね。戻ってもいいんですけどー」

「ん?」

「せっかくなので外で、二人で食べませんか? ────ほら、いいお天気ですし」
1477.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:10:11 ID:imV()



 天高く、馬肥ゆる……である。あいにくおいかわ牧場に馬はいないが、空は晴れやか、大陸育ちの乾燥した空気のおかげで視界は良く、高く高くまで見えるよう。

 及川の提案を断る理由はない(というかご両親と食卓を囲むのは自分としてもやや気まずい)ので、僕は言われるまま、彼女に指定された場所へ一足先におもむいた。食事は彼女が取ってきてくれると言うのでお言葉に甘えることにした。

 牛舎に隣接する放牧地の柵を乗り越えた。内側にはまだ誰もいないから遠慮することもなく、歩くこと少々。

 牛たちの水飲み場の隣にはロール状にした麦ワラが十ほど積み上げられている。そのうちの一つに腰掛け、懐かしいなと僕はひとりごちた。

 確かアレは及川がデビューした年の初冬だった。地元でのイベントに出演したあとは、すぐに東京へ戻るはずだった。しかしそこをまさかまさかの大雪に足止めを食らって、僕たちはココで一晩を厄介になったのだ。

 一宿と二食の礼に、明けた朝から僕は雪かきを手伝った。今と変わらずもやしっ子だった僕がどれほどの力になれたかはお察しというものだが、そこはそれ、気持ちが大事なのだと思いたい。

 この場所は、ちょうど僕がひいこら言いながらスノーダンプを押していたところだ。雪に埋もれていた水飲み場を及川と二人必死になって発掘し、手を取り合って喜んだものである。

 非力な自分なりにせっせと働いた甲斐あって、僕は及川のご両親に気に入られたらしかった。聞いたのは及川の口からだから、詳しいニュアンスはわからないが。
1577.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:10:51 ID:imV()

 ────あの頃はまだ、とちょっと懐古に浸りそうになった。しかし近づいてくる中型トラックの重厚なエンジン音が僕の思考は途切れさせる。運転席に座る及川は安心感のあるハンドルさばきで牧草ロールの隣にぴたりと停車させた。

「お待たせしました」と言いながら、及川は座席から飛び降りた。「すみません、お昼は簡単におにぎりとたまご焼きですー」

「いや、十分だよ」というのは僕の本音だった。
1677.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:11:19 ID:imV()

 二人並んで座る。包みをひらき、タッパーのふたを開けた。中には大きめサイズのおにぎりが三つと、たまご焼きが一本ぶん。まだちょっと熱を持っていて、置いた膝に伝わる熱が心地いい。

「いただきます」

「はい、どうぞ。私もいただきます」

「……うん。おいしいな」

「ありがとうございますー。お母さんにも伝えておきますね」

「ああ。これお母さんが作ったのか。ケガは大丈夫なのか?」

「簡単な料理なら平気ですよ。痛みもある程度引いて、絶対安静、というほどのことでもないらしいですから」

「そっか」

 ぎっくり腰、らしかった。僕はなったことがないからその辛さを身をもっては知らない。しかし歩くことにさえ支障をきたしていた様子に、昨晩は痛ましさが胸を衝いたものである。

「すぐ治るって?」と僕はたずねた。

「一週間もすれば、だそうです」と及川は応えた。

「あと、引くらしいよなぁ」

「そうですねー。問題なく、完治してくれるといいんですけど」

「僕も休みの間は手伝うから」

「ありがとうございますー。……本当に」

「や、まあ。大したことはできないんだけどな」

「お昼からはこのロールを運びますからー。お手伝い、お願いしますね」

「あ、今座ってるコレ? ……えらい力仕事だな」

「ええと、もちろんトラクターで積んで、トラックで運びますよー? 素手で運ぶのは、ちょーっと難しいですから」

「あ、そう。そうね。そりゃそうだよな、うん」
1777.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:13:05 ID:imV()

 及川家のたまご焼きは、ちょっと甘かった。ふんわりとした食感のあとにやさしい味が広がって、気持ちを落ち着かせてくれるような。深いコクはおそらく牛乳が入っているのだろう。

 ざあっと音がして、茂る牧草が揺れた。青空にひとすじの雲が走り、太陽は高く笑い、緑がさわいで遠い山には霞がたなびいていそうなその景色。

 初等科のころに知った童謡が、耳をすませば聞こえてきそうなほどに美しかった。朝焼けのあの光景にも負けはしない。

 この世界を知ってほしいと、及川は立ち上がったのである。そして今、彼女はきっと守りたいと思っている。ずっと大切に愛してきたこの場所を。

 たったの数年、その長くない月日は彼女の堅いシンをどうこうするには不足が過ぎる。
1877.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:13:55 ID:imV()

「プロデューサーさん」と及川が僕を呼んだ。

 及川のタッパーにはもう何も入っていなかった。僕の握っていた割り箸がクリアケースの底を叩いた。僕の方も、いつのまにか食べきっていたらしい。

「なんだ?」と僕はたずねた。及川はすぐには何も言わず、ロールベールからゆったり降りて僕の目の前に立った。なんとなく座っていられなくて、僕は自分のタッパーを彼女が置いたものの上に重ねてから立ち上がった。

 及川は女性にしては背が高い。僕は男性としては一般的な身長をしている。必然、まっすぐ見据えれば視線は合致する。くすぐったいが、僕も彼女も目を逸らさなかった。

「今まで」と及川は言った。胸を張り、こぶしを固めて。

 僕と彼女は近しく親しい。あうんの呼吸やツーカーの仲とまでは呼べないまでも。口火を切った単語を聞いた時点で、僕には続く言葉がわかるようだった。

 話題を差し替えたかった。なんなら茶化したかった。おどけてしまえばうやむやにできないかとも思った。

 しかし、彼女のアンバーブラウンの瞳が僕の動きを封じてみせた。
1977.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:14:42 ID:imV()

「────本当に、ありがとうございました。私を、アイドルにしていただいて。おかげさまで、とーっても楽しい日々を送ることができました」

 僕は何も応えられなくて、ただ腰を折った彼女を黙って見つめていた。やおら頭を上げた彼女は笑っていた。苦笑いだった。

「────私、アイドルを引退しようと思うんです」

 僕は目をつむって、それから開いて、笑ってみせようと努力した。できたかどうかは、わからない。

「やっぱりか」

 そう言うと、及川は「すみません」と呟くように重ねた。
2077.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:16:05 ID:imV()

 及川のご両親はどちらも五十という峠を越えている。老け込む歳ではないにせよ、確かな下り坂に入っているのは、失礼ながら間違いない。

 そこに来て、こたびのお母さんのケガである。それも日頃の疲労が現出したかのような類の。

 苦笑していた及川の、その裏側にある不安を僕は感じていた。

 そのタイミングで帰省、担当プロデューサーである僕に手伝いという建前で随伴を頼み、来てみればさほど助力する必要もなく、自身の酪農家としての仕事ぶりを見てほしいと言われた。
 ────いいかげん五年も一緒にいて、かつこれだけ揃って察せないならそれはもう大概なうすらとんかちである。

 ご両親の同席のもと言わなかったのは、きっと及川の優しさだ。どうしてもひいき目込みになるが、アイドルだって確実に楽しんでいた彼女が、それを辞めるのは誰のためか。ご両親が負い目を持たないように、幕引きは自分一人の手で。
2177.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:16:55 ID:imV()

「さすがにすぐには無理だぞ」と僕は言った。

「わかってます」と及川は言った。

 寂しくなるな、と言いかけて及川の後ろ髪を引くのはと飲み込み、さようなら、と言いかけてそれを言うのは今じゃないと飲み込み、残念だ、と言いそうになって自分のあんまりな語彙力に呆れた。

 言葉が出せなくって、代わりに涙が出そうになった。僕は高い空を見上げた。

「プロデューサーさん……いえ、◯◯さん」

 及川が僕の名前を呼んだ。それは関係への決別を告げられたようで、「なんだ?」と返す声は震えそうだった。

「ずっと、伝えたかったことがあるんですー。今、聞いてもらってもいいですか?」

「ん。……ああ、いいぞ」

 これ以上はダメだと、思いはしたが強がった。及川はずっと僕から目を逸らさなかった。僕から拒絶したくなかった。

「ありがとうございます」と及川は微笑んで、一つ深呼吸して胸の前で手を握りこんだ。

 僕は腹をくくった。今ぐらい、────きっと、泣いたって許される。
2277.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:17:46 ID:imV()

「◯◯さん。私、……ずっとずっと、あなたのことが好きでした」

.
2377.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:18:41 ID:imV()

「……へっ」

 予見の外側からの衝撃で涙は引っ込んで、頓狂な声がすべり出た。しばし目をしばたたく。……今、何言われた?

「……待て待て待て、ごめん待って、今なんて?」

「えっ。二度も言わせないでほしいですー……」

「あっ、ごめん」

 何が起きたちょっと待て、僕はすっかり今までお世話になっていたことへのお礼としての感動的アレコレを予想していて、だからその────告白は、あまりに予想外で脳が揺らされたようだった。

 僕と彼女は近しく親しかった、けれど。やっぱりすべて通じ合っているわけじゃない。
2477.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:19:25 ID:imV()

 動揺する僕を見て、及川はくすくすと笑った。

「……それだけ慌ててくれてるってことは、昔とは変われているんですねー」

 何が、と言いかけて、思い当たった。

 ────両親もプロデューサーを気に入ったみたいで、いつでも待ってるって言ってましたー。また来ましょうねー♪ ────雪かきをしたあの日だ。彼女はご機嫌にこう言って、僕は軽く流した。きっと、その言葉がどういう意味を持つかをわからずに言っているんだろう。

 子ども扱いしていた。そうじゃなかったのか?
2577.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:21:20 ID:imV()

「……あのとき、悲しかったんですよー。それとなく、でしたけど……想いを伝えたつもりだったのに、流されて。やっぱり◯◯さんにとって、私はただの担当アイドルでしかないのかなって」

 まさしくそうだった。あの頃の僕は、いい子だなあと何度だって思っていた。及川は、いい子でしかなかった。

「諦めようとも思ったんです。……でも、アイドルを辞めて、プロデューサーさんと離ればなれになっちゃうんだーって思うと、やっぱりすごく寂しくて。だから、もう一度だけ、手を伸ばしてみようって思ったんですー」

 アイドルを辞めるなら、もう一度だけチャンスはあるかなって。欲張りですね、私。そう言って及川は照れたように髪をいじった。その姿は、表情は、僕の目にもしっかり魅力的な女性として映る。

 ────正直なところ、嬉しかった。嬉しくないわけがない。
2677.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:23:06 ID:imV()

 しかし、応えられない、と思った。僕はまだ彼女のプロデューサーで、立場もあるし、この牧場のこととか、────考えないといけないことがありすぎる。

「……僕は」と口をもごもごさせながら言おうとして、しかし及川の手がそれを差し止めた。

「お返事は、まだ結構ですよー。……プロデューサーさんも、きっとすぐには決められないと思うので」

 図星を突かれて頭をかいた。自分で自分の眉尻が下がったのがわかる。

「半年か、一年後か。……わかりませんけど、私が引退するときに、聞かせてもらえますか?」

 完全に読まれている。月日を共にして、僕は及川のことをわかったつもりで、だけどそれは当然に彼女も同様で。

 そしてどうも、向こうの方が上手だったらしい。

「さっ、そろそろ休憩は終わりにしましょう。私、トラクター持って来ますー。……私の家の仕事を、知ってくださいねー♪ 」
2777.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:24:08 ID:imV()

 ああまったく。

 いい子だとは、もう思えなくなって久しい。

 及川雫。君は本当に、


 ────いい女になったなあ。





おしまい。
2877.oQo7m9oqt :2017/10/29(日)20:25:32 ID:imV()
終わりです。
及川さんは実家のためにアイドルになった、めちゃくちゃ商魂たくましい子なんですよね。
ご覧いただいた方、本当にありがとうございます。
29名無しさん@おーぷん :2017/10/30(月)11:29:03 ID:TXT
おつおつ
30名無しさん@おーぷん :2017/11/03(金)15:22:47 ID:1wA

31名無しさん@おーぷん :2017/11/11(土)00:27:24 ID:pLz
乙です
良かったけどタイトルの意味がわかんない

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